フィレンツェの恋人~L'amore vero~
ハルに掴まれている部分が痺れる。


はら、と春菊の切れ端が落ちる。


ハルの力は強く、骨が折れてしまうのではないかと怖かった。


骨が軋む。


「……痛いっ……ハル!」


「あっ」


私の声にハッとしたハルが、手を離した。


「ごめん。東子さん。ごめん」


私は痺れが残る手首を左手で支えながら、ふるふると首を振った。


「ごめんなさい……」


ハルがしゅんと肩を落とした。


「どうしたの、ハル」


「その香り」


言いながら、ハルがうつむく。


「苦手なんだ。ジャンポール・ゴルチェのル・マル」


「え……?」


確かに、私の右手から、本当に僅かだけれど、香水の匂いがした。


ハルの臭覚は凄い。


コーヒーだって、スン、とひと嗅ぎすれば何の豆をブレンドしているのかピタリと言い当ててしまうのだから。


「これ、ル・マルという香水なの?」


聞くと、ハルはうつむいたままこくっと頷いた。


煌さんの香りだ。


「……あ」


カウンターの席を立つ際に手を取ってもらった時。


移ったのかもしれない。


ラベンダーとバニラが溶け合ったような、甘い香りがした。


でも、シナモンのような香りがあって、スパイシーで。


「その香水。悪魔の匂いがする」


「そうかしら?」


悪い香りではないと思うのだけれど。


「そうだよ! 悪魔の匂いがするじゃないか!」


突然、ハルが大きな声を出した。


「東子さん。早くシャワーを浴びて来て。その香り、全部落としてきて!」


その声は鬼気迫るような、切羽詰まったものだった。


「……どうしたの、ハル」


なだめるように声を掛けてみたけれど、ハルは私から逃げるように背を向けて、


「お願いだよ!」


と、ソファーの上で膝を抱いて小さくうずくまってしまった。

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