フィレンツェの恋人~L'amore vero~
私はアボカドとチキンの野菜ドリアを、華穂はサフランライスのミートドリアを注文した。


それを食べ終えて、食後のコーヒーが運ばれて来たあと、


「大丈夫?」


華穂が聞いて来た。


こげ茶色のショートヘアーがさらりと揺れる。


「課の女の子たちがこぞって話していたのよ。はっきり言うけど。あの噂って、牧瀬ちゃんたちの事よね」


そう。


もう、華穂の耳にも入っていたのね。


「別れたわ。子供ができたと言われたの。仕方ないもの」


私は言い、小さなカップのコーヒーをすすった。


たちまち、苦い香りが口いっぱいに広がる。


「それにしては、ちょっと不自然に見えたわ」


コーヒーにひと粒の角砂糖をぽとりと落とし、スプーンでかき混ぜながら、華穂が続けた。


「クリスマスの事よ。あの様子じゃ、彼、牧瀬ちゃんに未練たらたらじゃないの」


私は苦いコーヒーをもう一口すすって、苦笑いした。


「変なとこ、見られちゃったわね」


「変? とんでもない。ドキドキしちゃった。ドラマのワンシーンみたいだったもの」


あ、ごめん、と華穂は屈託のない顔で笑った。


「いいのよ」


こういう、華穂のさばさばしたところを、私は好きだったりする。


憐れみをたっぷり含んだ同情の目で気を使われるより、よっぽど気分がいい。


「その様子だと、牧瀬ちゃんの中ではもう終わった恋なのね」


「そうかもしれないわ。それに、子供に罪はないもの」


「そう。大人ねえ、牧瀬ちゃんは」


「大人、か。まあ、でも。もう25だもの。メロドラマのような憎悪劇は御免だわ。それに、裏切った男を追いかける体力もないしね」


「でもね、牧瀬ちゃん。水をさすようで悪いんだけど」


華穂は周りの様子を窺うようにくるりと見渡してから、テーブルに身を乗り出した。


アクアブルーのシャツの中に隠れていたシルバーのネックレスが、カップにぽとりと落ちそうなほど。


「こんな話が聞こえてきたのよ」


「何?」


ソーサーにカップを置いて、華穂を見つめ返した。
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