フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「華穂、すごい! フランス語、完璧じゃない。スクールに通ったりしているの?」


まあねー、と照れくさそうにはにかみながらソーサーにカップを置き、華穂が教えてくれた。


「実は、高校を卒業してすぐに、1年くらい向こうに居たから。短期の語学留学。フランスの、パリにね」


「そうなの。パリか。憧れちゃう」


私はうっとりしながら、椅子にもたれた。


「華穂と私は、天と地ね。まさに月とすっぽんだわ」


同期で入社して、5年。


華穂は今や企画課のチーフで、生き生きしていて、キラキラ輝いていて。


私はずっと受付で作り笑顔の毎日で、もうお局様。


「何言ってんのよ、牧瀬ちゃん」


と華穂がテーブルを軽く弾く。


「天と天、地と地。月と月、すっぽんはすっぽんよ」


「いいえ、違うわよ。違い過ぎる。華穂は何でもそつなくこなして、頼りにされて、キラキラしているもの」


「あら、私だって苦手な事たくさんあるわ」


「例えば? 言ってみて」


華穂は渋々といった顔でぽつりとこぼした。


「さっき言った通り、英語でしょ。それから……どうも、恋愛がいまいち」


そう言われてみると、そんな気もする。


華穂はこんなに魅力的なのに、男性の陰がまったくない。


「ちょっと、昔、痛い思いをしてから、トラウマになって」


恋はちょっとね、と華穂が肩をすくめた。


「だから、天と天、地と地。同じよ、みんな」


「そうかしら」


くすくすと笑いながら、私はカップに手を伸ばした。


その手を素早く捕まえて、


「なら、試してみない?」


と華穂がニッと笑った。


「え? 試すって、何を?」


「牧瀬ちゃんの中に秘められている、才能」


華穂は言い、HERMESの鮮やかな水色のTiny KellyからB6サイズの絵本を取り出し、


「ためしにこれを読んでみて」


と私に押し付けて来た。


「……ももたろう? これを、ここで読めと?」


昼時で満席状態のカフェで?


「そうよ。わざわざ、買ってきたんだから」


困った事になった。


「全部とは言わない。小声でいいから。冒頭と中間とラストの何行かでいい」


読むまで絶対に席を立たないと、華穂が言ってきかないのだ。

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