フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「行ってらっしゃい」


私は笑顔を返して、交差する人の流れをぼんやりと眺める。


あの人とか、その人……例えば、この人は。


人間を拾った事はあるのかしら。


無いわよね、普通。


犬や猫ならまだしも、人間をだなんて。


人間を拾った私は……。


「普通じゃないわよ……」


その時、


「ままま牧瀬さん! 牧瀬さんっ!」


ランチへ行ったはずの平賀彰子が顔色を変えて、受付カウンターの中に戻って来た。


「どうしたの?」


聞いたと同時に、フロアーにざわめきが起こった。


ざわあっと妙な空気に包まれた。


社員たちは皆立ち止まり、その視線が自動ドアの外に向けられる。


「……何? どうしたのかしら」


あふれる社員たちの先で、自動ドアが開く。


空気がまた一変した。


わあっとわいた騒がしいフロアーが、しんと静まり返った。


「あの、牧瀬さん」


平賀彰子がひそひそと私に耳打ちをした。


「この間は私、何も知らなかったんですよ。本当に」


「何のこと?」


「お正月の番組で初めて知ったんですよ。すみません」


「……お正月?」


水を打ったように静まり返ったフロアーに、コツ……コツ……と足音だけが響く。


「ねえ、あの人って」


小声で話す私と平賀彰子の真横で、若い女子社員たちがこそこそと話し始めた。


「正月番組に出てなかった? ほら、2日のやつ。そうだよね?」


「あ、見た? 私も見た」


「なんでうちの会社に?」


「……その前に、なんで日本にいるの?」


カツ、コツ、と足音が接近してくるにつれて、人だかりが左右にはけて道を開ける。


「……へっ」


私は間抜けな声を漏らして、息を止めた。
< 203 / 415 >

この作品をシェア

pagetop