フィレンツェの恋人~L'amore vero~
トイレもキッチンも、一応、バスルームも。


もう一度、寝室を。


どこもかしこもくまなく探した。


でも、どこを探してみても、ハルの姿は無く、その気配さえ無いのだ。


『東……どうし……と……』


握りしめている携帯電話からこぼれるように、桔平の心配そうな声が漏れて、辺りに散らばっていく。


携帯電話を握りしめながら、ぺたりぺたりとリビングに向かう。


ハルの荷物はそのままだし、スーツもある。


でもやっぱり、無くなっている物に気付いた。


真っ黒のダウンジャケットが無い。


どくん、どくん、どくん。


不安が、波のように押し寄せて来る。


手に、不快な汗を握りしめながら、その名を呼ぶ。


「ハル!」


大きな声を出しても、返って来るのは静寂だけだった。


怖かった。


「ねえ! ハル!」


怖くて、怖くて。


いいえ。


恐ろしくて、唇が震えた。


そうだ、靴。


ハッとして、私は急いで玄関へ走った。


私のブーツ、パンプス、サンダル、スニーカー。


私の。


これも。


私の。


これも、これも、これも。


「全部、私の……」


動揺した。


ハルの履物が。


「……ない」


一気に力が抜けて、手から携帯電話がつるりと抜け落ちる。


ゴトリ、と床に落ちた携帯電話から、桔平の声が漏れ出していた。


『東子? どうした、東子!』


ざわりとした不快な感触が、虫唾のように背中を這って行く。


「……嫌!」


気付いた時、私は金切り声を上げながら部屋を飛び出していた。


真冬だという事も忘れて、上着も羽織らず、しかも、裸足で。


「ハル!」


最上階のフロアーを一目散に駆け抜けて、エレベーターは使わずに、冷え切った氷のような階段を素足で駆け下りた。
< 247 / 415 >

この作品をシェア

pagetop