フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「大丈夫よ、何もないわ。心配しないで」


『でもね、東子』


東子、という名前は好きではない。


私はお父さんとお母さんの「東子ちゃん」じゃない。


養護施設の先生たちや一緒に生活していたお友達たちは、あの頃、私を「実花子(みかこ)ちゃん」と呼んでいた。


だけど、ふたりに引き取られた日から、名前は「牧瀬東子」になり、私は牧瀬歯科医院のひとり娘になった。


その名前は、ふたりの本当の子供の名前だ。


そして、私の本当の名前はおそらく「実花子」なのだ。


「ごめんなさい、お母さん。今、ちょっと立て込んでいるのよ」


両親の本当の子供は、三歳という若さでこの世を去っている。


不慮の事故だったらしい。


それから、ふたりは子供の恵まれず、里親になろうと数々の児童養護施設に足を運び、そして、私を見つけたらしい。


東子ちゃんにそっくりだった、という、実花子に。


今でもはっきりと覚えている。


私を見た時、お母さんは涙をこぼしながら言って、抱きしめた。


――東子、やっぱり生きていたのね


私、東子じゃない、実花子です、そう言ったわたしの目尻に触れて、お母さんは言った。


――何を言っているの? これは、東子のしるしだわ


お母さんが触れたのは、私の左目の、泣きぼくろだった。


『分かったわ、東子。でも、困った事があったら何でも言ってちょうだい。だって、あなたは私たちの大切な……』


お母さんの声は、耳が痒くなるほど優しい。


「分かったわ。お母さん、分かったから」


大切な、その先を聞くのが嫌で、


「また連絡するから」


一方的に電話を切った。
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