フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「何をしているの?」

ハルは、怒ったような引きつり顔で、片手にビニール袋をぶら下げていた。


「その人と、何をしているの?」


真っ黒なダウンジャケットが冬の月明かりを跳ね返してエナメルの光沢を放つ。


「東子さん!」


瞬間的だった。


「ハル!」


私は桔平を邪険に突き飛ばして、羽織っていたコートも振り落して、ハルの元へ駆け出していた。


ハルの背後に、オリオンが輝いている。


「なぜ、何も言わずに居なくなったのよ!」


もう、何も考えられなかった。


情動的で、やみくもだった。


ハルの事で頭がいっぱいで、


ただ、必死だった。


「どこへ行っていたのよ!」


ハルの腕の中に飛び込み、ダウンジャケットにしがみついた。


私は猛烈に怖かったのだ。


「ハル!」


ハルが、本当に居なくなってしまったのではないかと。


もう、二度と戻って来ないのではないかと。


「ごめんなさい」


私を受け止めながら、ハルが申し訳なさそうに謝った。


ハルの手からビニール袋が落ちて、がさりと音を立てる。


「ごめんなさい、東子さん」


体をそっと離して、着ていたダウンジャケットを脱いで私に羽織らせ、


「ニクマンを買いに行って来たんだ」


ハルは私を抱きすくめた。


「肉まんを?」


「うん」


「それなら、また明日買って来るって言ったじゃない」


私は言いながら、ハルの首に腕を巻きつかせた。


「でも、一刻も早く必要だったんだ」


ハルのダウンジャケットに染みついた、ACQUA DI GIOが私を理性的にさせる。


「だけどね、どこで買えるのか分からなくて探していたら、こんなにも遅くなってしまった。ごめんなさい」


興奮の波がまるで引き潮のようにゆっくりと、でも、確実に遠ざかって行った。


駄目にしてしまった肉まんを買って来て、私と仲直りしようと思ったのだと、ハルは言った。


「東子さんと、仲直りしたかったんだ」


私を抱きしめながら、耳元で囁くように。


「言っただろう。東子さんに嫌われたら、ぼくはきっとガラスのように粉々に砕けてしまうって」
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