フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「自分の行動に、生まれて初めて、戸惑っているの」


婚約者に捨てられた夜に、人間を拾った事。


犬でもなければ猫でもない、生身の男の子を。


「戸惑っているのよ……」


桔平のスウェットが入っている紙袋を抱きしめると、柔軟剤の優しい香りがした。


「ねえ、東子」


「うん」


「何があったのか知らないし、聞かない。でも……私は、あなたが幸せでいてくれたらいいと、本当の思っているの」


「繭……」


「私たちのような施設で育った人間が幸せになっちゃいけないなんて、絶対にない事だもの」


繭がぎこちない笑顔をする時は、本気で心配しているという証拠だ。


「だから、自分の手で幸せを壊すような事だけはしないでね、東子」


分かっている。


繭が心配してくれている事は、とても、分かる。


だけど、今は何をどう説明したらいいのか、見当がつかなかった。


それくらい、私は今夜の度重なった出来事たちに戸惑っていた。


「落ち着いたら、必ず話すわ。その時は聞いてくれる? 繭」


「もちろん」


その時、とたとたと足音がして、玄関先に飛び出して来たのは、


「ままー。おしっこ」


寝ぼけ眼をこする、奏太(かなた)くんだった。


「ああ、起きてきちゃった」


繭と桔平の、三歳になる息子だ。


「もらしちゃう」


「はいはい。ごめんね、東子、また今度」


「ええ」


「奏太、東子にバイバイして」


「ばいばーい、とうこおねえちゃん」


子供はかわいいと思う。


でも、私は子供を産まないと決めている。
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