フィレンツェの恋人~L'amore vero~
ほんの少し、焦った。


ハルが出て行ったのかもしれないと思ったからだ。


だから、明りも付けずに急いでリビングへ向かった。


「ハル? 居ないの?」


リビングのドアを開けてもやっぱり、真っ暗だった。


「……東子さん?」


暗いリビングに響いたのは、低くて少し甘い声だった。


「ハル」


暗がりに目が慣れて来た時、窓辺にハルの姿を見つけた。


「どうしたの、電気を全部消して」


獣だ、と思った。


暗闇に浮かんでいたのは、ぎらりと光るハルに瞳。


上半身裸で、下半身にバスタオルを巻いた姿で、街の夜景を一望できるパノラマのような窓辺に立っていた。


「部屋中の明りを消して、何をしていたのよ」


でも、返って来たのは質問返しだった。


「東子さん、どこに行って来たの?」


「ちょっとね。友人の所へ。このマンションのすぐ近くなの」


「へえ、そうなんだ」


「ハルは何をしていたの? 真っ暗にして」


何も見えないじゃない、と蛍光灯のスイッチに手を伸ばした時、


「待って。付けないで」


ハルが言った。


「えっ」


でも、その時はすでに遅し、一拍置いて部屋は明るくなった。


「ああっ……待ってって言ったじゃないか。眩しいよ」


と、ハルがこそばゆそうに目を細める。


黒縁眼鏡を外したハルは、少しだけ幼く見えた。
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