フィレンツェの恋人~L'amore vero~
二十五年も生きていれば自然とそういう流れになる。


男の裸を見たところで動じなくなったのはいつだったのか、それすら思い出せない。


「それなりの恋をしてきたつもりだもの」


「ふうん。とりあえず、これ借りるね。ありがとう」


ええ、と頷いて、


「何か温かいものを淹れるわね。と言ってもコーヒーしかないけれど」


リビングと対面式になっているキッチンへ入った。


「じゃあ、ブラックにして。うんと苦いやつがいい」


「ふうん、大人ね」


「苦手なんだ、甘いの。喉がただれそうになる」


「ああ」


不意に声が漏れたのは、ハルの言った事が分かる気がしたからだ。


私も甘いものが苦手なのだ。


和菓子も、ケーキも、チョコレートも。


繭と食事に行くと、彼女は必ずスイーツを注文する。


うげ、と顔をゆがめる私を見つめて、いつもこんな事を言う。


東子は残念な女子だ、と。


見た目は美人なのに、残念な美人だ、と。


――甘いものが食べれないなんて、人生の半分は損をしてるようなものよ


そう言って、幸せそうに餡蜜やモンブランケーキをぱくぱく食べる繭を見ながら、私は抹茶やエスプレッソを飲む。


歯が浮くような苦い苦い、抹茶やエスプレッソを。


「私も甘いのは苦手なの」


昨日、会社の近くのコーヒー豆専門店で挽いてもらった、キリマンジャロとマンデリンとモカの、オリジナルブレンド。


「餡蜜も、モンブランケーキも、甘いカフェオレも、全部苦手だわ」


ペーパードリップすると、酸味を含んだ苦い香りが立ち上り、それを一気に吸い込むと脳天を直撃する。


この瞬間が、一番安心するのはなぜだろう。


コーヒーの香りは、麻薬だと思う。


私の精神を安定させる、麻薬だ。


ケトルから熱湯を注ぎ、カップを温めていると、リビングからハルが言って来た。
< 36 / 415 >

この作品をシェア

pagetop