フィレンツェの恋人~L'amore vero~
あの制服に入っていた二冊のパスポートを見た時から、そう思っていた。


そして、ハルが居なくなる時はおそらく、遠い遠い地へ行ってしまう気がする。


「そう。好きなだけここに居ていいし、出て行きたくなったら出て行けばいいわ。ハルの好きなよいにして」


「そうする」


そんな会話をしながら、私たちは恋人のようい身を寄せ合って、星空を見つめ続けた。


日付が変わる頃の、冬の星座を。


「眠くなってきたわ」


「ここで眠ったら風邪を引くよ。ベッドで眠ったら?」


「いいのよ、ここで。いつも、ここで眠るの。ベッドはあるけど、一度も使った事がないの」


ここに住んで、五年。


その長い歳月、私は一度たりともベッドで眠った事はない。


「なぜ?」


「ベッドで眠るのが怖いからよ」


とてつもなく広く感じて、孤独の波にのまれてさらわれてしまう気がするから。


ベッドのサイズはシングルなのに、その面積すら果てしなく思えて、怖くなる。


「使いたければ使っていいわよ。ベッド」


「じゃあ、東子さんはいつもどこで眠っているの?」


「ここよ。このソファーで寝ているの。一人で眠るには狭くてちょうどいいもの、ここは」


だから、いつもタオルケットを引っ張って来ては、ここで眠る。


冷暖房を完璧にセットして、明りを煌々と灯したまま。


「なら、一緒に眠ろうか。ベッドで」


「嫌よ。そうやって襲おうって魂胆ね」


「違うよ。ぼくはそんな節操のない事はしない」


「そうかしら」


分からないわ。


だって、綺麗な顔をしているけれど、ハルは男だもの。


慎二と同じ、ケダモノだもの。


警戒の視線を向けると、ハルは涼しい顔をして言った。


「ぼくはね、愛する女しか抱かない主義なんだ」


「高校生のくせに、生意気な事を言うのね」


「本当だよ。嘘じゃない」


瞼が重くなって、強烈な微睡が襲ってくる。

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