フィレンツェの恋人~L'amore vero~
ハルが持ってきたものは、学生服だった。


「これを持って帰って欲しいんだ。おそらく、もう、ぼくには必要ない物だからね」


「はい」


「あと、これも」


とハルは玄関に並べてあった光沢のあるローファーもサエキジロウに渡した。


「かしこまりました」


サエキジロウはおもむろにコートのポケットから袋を取り出して、学生服とローファーを丁寧にしまい込んだ。


「あ、そうそう。あと、これも頼むよ」


ハルが最後に出した物は、おばあ様から戴いたという黒縁眼鏡だった。


「これはっ……割れている」


サエキジロウのしわくちゃの瞼が上がり、目がぎょろりと動く。


「一体、何があったのですか?」


サエキジロウのうろたえる様子を見る限りでも、眼鏡が大切な物だという事が分かる気がした。


「昨日、人とぶつかった時に割れてしまってね。修理に出しておいてくれないか」


「ああ……これは痛ましい」


サエキジロウは表情を歪めて、背広の内ポケットから真っ白なハンカチを取り、広げ、


「かしこまりました。早急に」


と黒縁眼鏡を丁寧に包んだ。


「修理から上がりましたら、すぐにお届けにあがります」


「ああ、すまない、サエキ。いつも迷惑ばかりかけるね」


とんでもない、とサエキジロウはカクリと片膝を曲げて、微笑んだ。


「それでは、数日後にまたお伺い致しますので」


サエキジロウが出て行こうとした時、


「待って」


とハルが呼び止めた。


コツ、とサエキジロウの革靴の底が音を立てる。


ハルはサエキジロウの持つ袋に手を突っ込むと、


「これは使うかもしれないから」


とそれを取り出し、素早くスウェットのポケットに隠すように突っ込んだ。
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