フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「ああ、いえ。こちらこそ」


そして、彼も目を見開いた。


「……東子」


私がぶつかってしまった相手は、皮肉にも、都合悪そうに顔をひきつらせた慎二だった。


穏やかに凪いでいたはずの心が、一気にかき乱される。


どくり、どくり、と不快な鼓動音が体を巡った。


「慎二……」


落ち着きなさい。


自分に言い聞かせながら、こっそりと深呼吸をした。


今ここで騒いだって、わめいたって、羞恥をさらすだけだ。


「……昨日、あの後、心配で電話したんだけど、出なかったから。ごめん、東子」


慎二が肩をすくめる。


「心配? 私を、心配したと言うの?」


「ああ」


どこまでも酷い男ね、慎二は。


美月と一緒になると決めたくせにもかかわらず、他の女の心配をしたのね。


酷い人。


「ごめん」


慎二を、真っ直ぐ見る事が出来なかった。


怒りなのか憎しみなのか区別できない興奮を抑えるのに必死だった。


無理やりにでも抑え込みでもしなければ、今ここで慎二を殴りでもしてしまいそうで、自分を恐ろしく感じた。


がさり、と音がして、それは慎二の持っていた紙袋の音だった。


「買い物?」


聞くと、慎二はますます都合悪そうに今度は背中を丸めた。


「ああ。実はこれから美月のご両親と会う事になって。手ぶらはさすがに失礼だろ? バームクーヘン」


「そう。そう、なの……」


悔しくてたまらなくて、手が震えた。


この男と結婚するのは、私のはずだったのに。


慎二を、信じていた自分がバカの思えた。
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