フィレンツェの恋人~L'amore vero~
何ひとつとして飾りっ気のないシンプルなものだったけれど、私は嬉しくてたまらなかった。


私は、慎二を、本当に大好きだったのだ。


返事に迷いなんてひとつもなかった。


「初めて見た時から、いいなって思っていたんだ、ずっと。東子の事、いいなって」


慎二はすらりと背が高くて、取引先の出版会社のやり手の営業マンで、スーツがとても良く似合う、ふたつ年上の好青年だった。


「でも、東子は美人だし、他にも狙っている男がいたからね。まさか、俺と付き合ってくれるとは思ってなかったんだ」


高校時代はサッカー部で、エースストライカーだったという慎二は誰から見ても爽やかで。


「早く結婚でもしておかないと、誰かに東子を捕られるんじゃないかって、怖くなったんだ」


とにかく、用意周到で。


真面目な優等生の道を地味に歩んで来た私にとって、慎二は完璧な王子様だった。


「東子の唇は、いつもひんやりしてる」


慎二は、とても、キスが上手だった。


特に、ついばむようなキスが。


私は、慎二を、好きだった。


数分前のカフェの店内はほろ苦い珈琲の香りが立ち込めていて、なぜか酷く気が滅入った。


珈琲の苦い香りが、私は好きなはずなのに。


気が滅入った。


「絶対にいけない事だと、頭では分かっていたんです」


そう美月は言い、涙で震える声を絞り出すように続けた。
< 8 / 415 >

この作品をシェア

pagetop