みだりな逢瀬-お仕事の刹那-


というか、いつでも素直でいられる荒木さんは凄い。それゆえ、小言がうるさいと影で評判の常務を担当出来るのか。


果たして世渡り上手なのか、良い意味で自然体なのか疑問は色々残るけど……。


そう感心しながら速足で到着した先。――それは悪の枢軸、もとい社長室だ。


私は目の前のブラウンの重厚な扉を数回ノックし、「間宮です」と名乗った。


「良いよ」

ドア越しに返ってきた穏やかな声に、内心”げっ”と思ったのは秘密にする。


その扉を開けた先に待っていたのは予想通り、プレジデント・デスクに座る社長ひとり。


「入ったら?」

今日も濁りのない薄墨色の瞳と目が合い、再び一礼してドアを静かに閉めた。


こういう時、視線を合わせるのは気まずいものがある。何より肝心のチーフ不在という、この場は明らかにおかしい。


これ以上の接近と無用な長居は勘弁だと、手を休めない彼に手短に尋ねることにした。


「あの、田中チーフは」

「知らない」

「…え、あ、では私の勘違い、」

考えごとをしてボーっとしていたから、荒木さんから聞き取りミスしたのか。


「俺が頼んだ」

脱力しつつも逃避体勢を取りかけた瞬間、淀みのないその声に目を丸くする。

「え、では、何か」


「――今さら、里村さんに枕営業は不要だと思うが?」

それまでデスクへ視線を落とし、決済の押印をしていた社長の鋭い眼差しが向けられる。


< 107 / 255 >

この作品をシェア

pagetop