みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
しかし、彼の視線は書類と大切なiPadへと戻り、それらを手に立ち上がった。
「じゃああと頼む」
「了解いたしました」
先ほどの件について、手短なひと言で終えた彼ら。その間に私は俯き、視線を遮ることにした。
「……ではチーフ、どうぞ」
社長が立ち上がったあとでチーフへコーヒーを出すと、社長はもう秘書室のドアを開いていた。
「ありがとう」とだけ言い、田中チーフはまた書類へ視線を落としてしまった。
パタンと秘書室の扉が閉まった瞬間、緊張していた身体の力が俄かに取れる。
ムダを嫌うその素早さは相変わらずでも、今日はなぜかそれが恐ろしく感じた。
――金曜の件について何も触れない。だけど、明らかにさっきの眼は怒っていたから。
気が滅入った私はトレーの上で湯気と香りを放つ、残りひとつのコーヒーを見つめる。
「おはようー」
これは勿体ないと思っていたところ、ドアを開けて荒木さんが今日も元気にやって来た。
「おはようございます、荒木さんすみません」
「おはよー、なに?」
席へ着く前の彼女を呼び止め、トレーを差し出す。
「良かったら、飲んで貰えませんか?」
「いいよー。砂糖たっぷり入れよっと」
快くトレーごと引き取ってくれた彼女の優しさに感謝し、小さく頭を下げる。