みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
「朱祢」
仕事中とはまた違う涼やかな声での呼びかけに、私はギュッと目を瞑った。
――こういう時に、名前を口にしないで欲しい。葬るべき想いを呼び寄せるから。
厚くて広い胸の中で固まっていれば、クッと喉を鳴らすような声が頭上で響く。
「30分もあれば十分だ」
「えっ、きゃっ!」
彼が呟いた瞬間、膝を掬われて身体は宙に浮く。そのまま近くのソファへ押しやられた。
ソファといえどもベッドタイプのそれは今、運悪く水平の状態だった。
些か恐怖を覚えつつも急いで半身を起こそうともがくが、時すでに遅し。
ギシリとパイプ音を小さく立て、私を跨ぐように社長が覆い被さってきたのだ。
眼差しからは、不機嫌さが見て取れた。爽やかな香りが匂う度、心ばかりが焦っていく。
「この前、断られたしね」
そこでようやく事態を呑み込んだ私は、冒頭の彼のひと言に合点がいく。
さらに邪魔だというように私のメガネを両手で取ると、脇のテーブルへ置いた。
「もうひとつ、取り返すんだろ?」
ひとつ隔てていたレンズを易く奪われ、目の前の微笑に言葉を失ってしまう。
社長はスーツの内ポケットからiPhoneを手にすると、片手で操作をしてそれを耳へ当てた。
「あ、悪い。急用で30分ほど間宮さんを借りるから。ああ、よろしく」
その通話は端的に終わった。察するに、私の上司のチーフにでも掛けたのだろう。
「助けて」なんて感情任せの声を出せば、自分に不利になるのは明白だった。
こんな時でさえ、いつも先回りして考える自分の性格がまた嫌いになっていく。
再びポケットへと沈めたのち、彼はジャケットを脱いだ。さらにネクタイも緩めて取り去ると全てをテーブルへ置いた。
「急ぐぞ」
「な、んで、……会社では」