みだりな逢瀬-お仕事の刹那-


溜め息を吐いて諌めるその声は、仕事モードと離れた優しい色で聞こえた。


それを遠くから見つめる私は、バクバクと鳴り止まない鼓動をどうしようも出来ずにいる。


「やーだ」

「……あかね、抱きつくなって言っただろう」

「もぉ、ひどい!
ずっと連絡してたのに叶ってば無視したでしょ?……わたし寂しかったのに」

甘撫で声で可愛らしさをみせる女性。2人のやり取りは、ムーディーな店内で異質に響いていた。


さらには他の客の視線も気にすることなく、抱きついてきた女性を受け止める社長。それは恋人が放つ甘い空気そのもの。


「とにかく行こう」

すると落ち着いた声色で彼女の肩を抱いた社長。そうして彼らは、奥の個室へ颯爽と消えていった。


大阪から直にこの店に訪れたらしい社長と、カシュクール・ワンピースを抜群のスタイルで着こなしていた女性。


絵になるその光景は、2人がとっくに消えた今もなお目に焼きついて離れない。


ちなみに、あの女性は私も存じている。先日のパーティーで、社長とキスを交わしていた方だ。


2人の親密さを改めて目の当たりにし、ショックを受けたのは紛れもない事実。


社長の優しさは私だけに向けられているのではない。……勘違いも甚だしいと。


それより何より、社長が女性を呼んだその名で、私の自尊心はひどく傷つけられていた。


秘書でしかなかった私を躊躇いなく“あかね”と呼べたのは、……本命と同じだから?


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