みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
ただ、どこかで冷静な部分もあった。あかねという名前は、聞き間違えではなかったのだと。
「それでさ」と言葉を継いだ彼の目を、ただぼんやりと見ていた。
「いい加減、叶から離れない?秘書がしたいなら、俺のところで幾らでもさせてあげるよ。
――桔梗を枯れさせる前に、今度こそ大切に守りたいんだ。どうかな?」
真っ黒な威厳ある瞳は的を射抜くように、無言の私を一点に見据えている。
これを何も知らない人が聞けば、美麗な男からのプロポーズに思うだろう。
しかし、当事者の私は違う。昼間の花束の意味に気づかないほど浅はかじゃないのだ。
フッと口元を緩めて小さく笑い、脇に置いていたキャメル色の通勤バッグを手にする。
――桔梗を天秤にかけるほど軽んじるあなたの施しなど、一切イラナイ。
「……本命がおみえなら間違いなく、私を捨てるのが先でしょうね。
何より甲斐甲斐しく世話をして頂くより、私は野原で生きる方が魅力的です」
すると、遠回しな発言で里村社長は目を閉じた。ゆっくり目を開けたと同時、俄かに自嘲した。
「フッ……、そのセリフは聞き覚えあるな。
朱祢ちゃんこそ、これ以上アイツに入れ込む必要がある?
これで俺に勝負を挑んでいたって、時間の無駄だと分かったのに」
微笑して対峙する私たち。柔和な顔つきとは裏腹に、互いに一歩も譲らない。
「私は損得を考えて行動すべきではない、と思っていますので。
それに……何事も無駄にならない、と桔梗に誓っていますから」
「それはどうかな」
曖昧な返答の続きを聞くまでもなく、そこで潔く席を立った。