みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
再び楓の腕を支えに無言で待っていると、軽い音を立て到着したエレベーター。
静かに開いた扉に中へ進みかけたものの、その一歩は目の前の光景で呆気なく阻まれてしまう。
「何をしてる」
「しゃ、ちょう」
扉を挟んで対峙した人物こと社長のひと言は、やけに冷たくその場に響いた。
――バッドタイミングもいいところ。なぜ彼が戻ってきたときに出くわすのだ。
ぼんやり薄墨色の瞳を持つ社長を見ていると、その眼差しが隣の楓へ向いた。
痺れを切らしたとでも言いたげにエレベーターを出た社長が、私たちとの距離をさらに詰めてくる。
「答えられないのか?」
鋭い眼光で楓に詰問する彼。そんなトップの気迫に圧されたのか、楓は閉口してしまう。
「大切、な人が」と、その隣で紡いだ私の声もフォローにはあまりに頼りない。
「大切な人?」
「……すみません」
言葉を詰まらせた私たちに苛立ちを隠すことなく、形の良い眉を寄せる社長。
逃げるように俯くのは卑怯だと分かっていたが、無言で楓のスーツの袖を引いて行こうと促す。
「朱祢」
その時、此処ではあり得ない呼び方がその場に響く。それに心を攫われた私は、楓の布地を掴む指先が微かに震える。
「何があった?」
さらに穏やかな声色が辺りを穏やかに包む。週に一度きりの特別な声が涙を誘い、クリアな視界はみるみる曇りはじめた。