みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
「あかね」と社長から呼ばれ、まだ大丈夫なのだとホッとした邪(よこしま)な自分。
でも、その何倍も心は真っ黒く塗り潰されていた。やっぱりこんな感情など、知らない方が良かった。
――期待すればするほど、自分も彼も嫌になる。悲劇のヒロインなんて真っ平だ。
「あか、」
「――呼ばないでっ!」
「どうし」
「やめてっ!!」
ぐるぐる駆けめぐる自己嫌悪の感情を断つように、ヒステリーに叫んで社長を睨む。
「朱祢?」
再び私の名を呼んだその声色には、彼の困惑ぶりが見え隠れしているよう。
「こ、れ以上…、もうっ、……テリトリーに入ってこないで!」
廊下に響き渡るほどの声で叫んだ私は、平常心とは最も遠いところにいる。
微かに薄墨色の眼差しが揺れるのが見て取れた。だが、とても直視出来ずに視線を逸らしてしまう。
これで社長とは、終わった。――あとで何が待っていようがもう構わないと……。
波のように揺れる視界を断つように瞬きをした私は、握り締めていた楓の袖口を再び引く。
「ごめ……、行こっ」
「あ、ああ」と、楓は明らかに狼狽した声で頷いてくれる。
「――朱祢!」
大きく何度も頭を振って、苛立ちを滲ませるその声をそっと制した。――もう止めて、と声に出来ないままに。