みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
この環境を捨てようと思うくらい、愛していたのは本当。
忘れられなくても幸せになって欲しい、と願ってきたから。――そのためには私が邪魔だと、ようやく気づけた。
「そ、んなことより、信ちゃんがっ……ごめっ」
それ以上は、嗚咽が邪魔して言えなかった。奥歯を噛みしめつつ零れる涙を、楓が指先でそっと拭ってくれた。
「朱祢だって苦しんだ。いいよ」
そのまま彼の腕が背中へと回り、ふわっと優しく私を包んでくれる。
知り合った時から変わらない、爽やかな香りがふわりと鼻腔を擽った。
同時に、そのあたたかいハグに罪悪感を覚えた。……私は社長だけでなく、無条件に手の差し伸べてくれる友達まで欺いていたのだと。
「あ、着いた、ね」
ポンと到着音を知らせる音がエレベーター内に響き、「ありがと」と言って楓から離れた。
身勝手というフレーズは、まさに私にぴったりだ。泣く資格はない、とごしごし目を擦った。
心配そうな双眸を前に、もう大丈夫だと平静を装って頷いてみせる。
私のことなんてどうでも良い。楓と信ちゃんこそ、とても辛く深い暗闇の中にいるのだ。
大好きな2人が大変な時になんて煩わしい思いをさせたのか、と心の中でひたすら謝り続けた。
「歩ける?」
「ん、ありがと」と言い、私は差し出された腕に掴まった。
「転ばれる方が恥ずかしい」
嫌味混じりの楓だが、普段あれこれ悪口を言っていてもやっぱり優しい人だ。