みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
逢瀬、向かう。
ぼんやりする頭を振り切れずにいた私は、ずっと彼に寄りかかってエントランスを進んで行く。
居合わせた人々の好奇に満ちた視線を感じながら社屋を出ると、道路沿いで通りがかりのタクシーを捕まえた。
あとに乗り込んだ楓が行き先を告げると、静かに車は走り出す。
無言の続く車内で彼はずっと窓越しに移ろいゆく景色を眺めていて、私は遠慮がちに窺っている。
メガネをかけた横顔に秘書室で取り乱していた頃の様子は見られない。
ただその眼差しには覇気がなく、隣席で心配しつつも言葉を掛けられずにいた。
そんな自分を不甲斐無いと思うけれど、此処でいま何を口にしても気休めにならないのが事実。
思いやりのつもりが、かえって感情を逆なでするだけ。私と似た性格だからよく分かる。
同じくして彼も、私と社長の関係について問い質さないでくれたのだ。
少し経ってバッグから私用スマホを取り出すと、着歴のない電源をOFFにした。
真っ暗になった画面に映り込んだ自分の顔に驚く。叫びたいのを堪えてハンカチを手にした。
せっかく目の腫れが引いたというのに台無しだ。……今となっては気遣う意味も無いけれど。
とはいえ崩れた顔は見るに堪えず、遠慮がちにコンパクトを手に体裁を整えておく。
その間にタクシーは大通りから路地裏へと向かい、人通りの少ない道路脇で停車した。
「お金」と、そこで再び口を開いた楓が手のひらを出してくる。
金額を告げた運転手にもコクコク頷き、財布から1万円を一枚抜き取り手渡した。