みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
裏路地の一角で佇む私たちのあいだを、なま暖かい風が宥めるかのように優しく掠めていく。
すると暫くして、肩にかかっていた重みが取れる。その楓は頭を上げたと思えば、顔を見せることなく背を向けた。
閉口したまま前進して行く彼に、唖然としつつもヒール音を鳴らしてあとを追った。
「――会社に戻る」
「え?」
スタスタ颯爽と歩く大きな背中に駆け足で追いつくと、疑問を抱えながら隣に並んだ私。
「てっきりベルギー行くのかと」
そこでようやくこちらを見た彼に、遠慮がちにさっきの真意を尋ねてみる。
言うまでもなく、信ちゃんにベタ惚れの楓。その大切な人が負傷をしている現在。
直ちにベルギー行きのチケットを取って現地へ向かう、と思っていた私としては解せない。
「信耶が喜ぶと思う?」
「え?」
あっさりとした声で尋ね返され、言葉の見つからない私を彼は小さく笑った。
「それを望むようなヤツじゃないって、よく分かってるから。
だから俺は、自分のフィールドで戦うべきなの。いま異国でひとり頑張ってる信耶のためにもね。朱祢もそう思わねえ?」
言い切った彼の表情に不安の色は感じられる。でも、それ以上に信ちゃんを信じる心が勝っているようにも映った。
「……私、今ちょっとだけデカわんこに惚れた」
「ばーか」
彼は呆れながら小さく笑い、私のおでこを容赦なく人差し指で突いてきた。