みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
あれこれ原因を思案する私をよそに、受話器を取って耳へと近づけたチーフ。
メガネの奥の瞳は煩わしさに巻き込まれたためか、些か苛立ちの色を滲ませている。
「――ああ、私だ。忙しいところ悪いが確認させて貰いたい。
単刀直入に尋ねる。秘書課所属で、今日付けでパスワード変更した者はいるか?
――ああ、分かった。……そういう事か。ああ助かった、どうもありがとう」
会話から察するに、社内のコンピューター・システムを司る情報管理課へ連絡したのだろう。
カチャリ、と受話器が置かれた瞬間、レンズ越しに冷たい色の双眸がこちらへ向けられた。
疚しいことはないのに、その迫力に圧されそうになる威力を持つ眼差しに不安が募る。
「先ほど変更指令が出ていたようだ、君の分だけ」
「……え?」
「――社長直々にだそうだ」
すると嘆息する彼が紡いだ事実に、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。
トップ自らの指示。――それは即ち、会社に見限られたことを意味している。
「まったく。私を通す必要があるのに、社長は何を考えているのか」
第一秘書というプライドからか小言を吐き出したチーフ。だがその裏で、聡い彼はとっくに気づいているだろう。
「しゃ、ちょうはいま、」
デスク上に震える両手を置き、身を支えて立ち上がった私はか細い声でそう尋ねた。
「ああ、私用で急な来客だ。――里村あかり嬢。君も知っているだろう?」
目が合ったチーフの物言いに、いま自分がどんな顔をしているのか構う余裕すらなくて。
「……そう、でしたか」
かの人物との逢瀬中と分かった途端、頭の中は修正液をかけられたように真っ白なままだ。
どうにかチーフとの会話を終えると、力なく椅子の背もたれへ無力な身を預けた。