みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
到着音ののちエレベーターを降りたのは、秘書室のある最上階より一階下。
まずは更衣室に寄って荷物を置き、身だしなみを整えると秘書室へ向かった。
秘書室の扉の前に立ち、平常心を唱えてドアノブを回す。すると予想通り、軽い音を立ててドアが開いた。
「お、はようございます」
扉の向こうで捉えたのは、最奥の席から怪訝そうにこちらを見たチーフの姿。
「ああ、君か。早いな」
彼が誰よりも早く出社し、秘書室のサポート業もこなすのは課内の誰もが知っている。
私だと分かったせいか表情と声が幾分和らぎ、いつもながら苦笑いしてしまう。……本当に容赦ない。
だがすぐに顔を引き締めてデスクに近づいた私は、視線を落としていたチーフと対峙する。
「作業中大変恐れ入ります。
皆さんがお見えになる前にお時間を頂きたかったもので」
「――辞めるのか?」
PCを前にリズミカルに動いていたチーフの指先は、微かな眉の動きと共にピタリと止まる。
「大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。後任の方に引き継ぐまでは勤めさせて頂たく存じます。
私が不要と判断した時点で退職にして頂けたら幸いです。……もちろん社長秘書室以外の場所とは思いますが」
気圧されそうなほど冷たいその眼を前に、私はどうにか視線を逸らすことなく言い切った。