みだりな逢瀬-お仕事の刹那-


「何も言わないのか?」

「――社長の幸せを望むのでしたら!
離れなければならない。ただそれだけです。
そもそも、今さら件についてお話しても何ら解決になりません。……私もチーフも当事者ではありませんから。
身勝手であることは重々承知しております。ですがチーフ、早急に後任の人選をお願いいたします。
社長のためにどうか……、この度は多大なご迷惑をおかけして大変申し訳ございません」


「……良いのか?」

最後のチャンスだと示すように、いつもの冷たい声音が静寂に響いた。


その誘惑から逃げるように、視線を落とした私はゆっくりと頭を下げる。


「そのお気持ちを頂けたことに心から感謝いたします。しかし、どうかこのまま進めて下さい。
くれぐれも社長には私が去るまで内密にお願いいたします」

「――ああ了承した。これもその日まで私が預かっておく。こちらも取り乱して悪かった。許してくれ」

そしてデスク上にある封筒を手にし、自身のビジネスバッグ内へとしまった彼。


「とんでもございません、お怒りなのはご尤もですから。ご配慮に深く感謝いたします。では私は資料室におりますので、何なりと申しつけ下さい。
長々とお時間取らせてしまい、申し訳ございませんでした」

チーフは確かに厳しいが、自分の非を素直に認めるから嫌いじゃない。だから私も彼の部下でいられたのだ。


最後にもう一度頭を深く下げたのち、そのまま静かに秘書室を退出する。


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