みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
しかし、私は何も語ることなく室内を少し歩いた。その度にコツコツ、とヒール音が小気味よく鳴る。
資料室特有の古ぼけた紙の匂いを感じつつ、資料棚に背を預けると口を開いた。
「メリットなんて求めていませんし、たとえあったとしても私には不要ですね。
貴方が今もなお彼女を追い求めるように、……絶対的なもののために弊社で働かせて頂いただけです」
「――叶が好きなんだろ?」
やはり抽象的な言葉を男性陣は好まないな、とストレートな問いに苦笑させられる。
「……分かりません」
「なぜ?俺と決着をつけたってことは、」
「ようやく社長が本命の方と幸せになれると分かって、正直ホッとしました。これで関係も清算できると……。
さきほど退職届が受理頂きましたし、私は……っ、」
“身代わり”から抜け出せると付け加えて、軽やかに笑わなければならないのに。
まるで昨夜の痛みがぶり返したように、生ぬるい涙が頬を伝っていく。
先ほどと同じように平常心の間宮であれば、里村氏との話だって終わるのに。
「朱祢ちゃん?」
どことなく心配した声が電話越しに聞こえても、返事すら出来ないでいた。