みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
逢瀬、発する。
――何故ここまできても、“身代わり”の立ち位置を受け止めきれないのか。
「退職って、どういうつもり?」
よく通った低い声が部屋に響いた瞬間、全身が凍りつく。
社長室の一階下にある、秘書さえ利用頻度の乏しい資料室。
まして早朝から此処を訪れる者は皆無。となれば、意図的にやって来たことになる。
油断も良いところだ。ドアを閉めたことで安心し、施錠せずにいたとは……。
「聞こえなかった?」
「おはようご」
「誰が挨拶しろって言った?」
「……恐れ入ります」
顔も上げず言うとは秘書失格だが、この際どうでも良い。この涙を見られる訳にはいかない。
その間にも革靴音を鳴らし、徐々に私との距離を詰める社長の圧力が増す。
そちらへすべての注意が向かい、通話中のスマホを持つ手の力が抜けた。
「貸して」と言いながら、私の答えも聞かずに社長はスマホを奪ってしまう。