みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
後ずさりを許さない腕の力に、ようやく対抗する気は失せたものの。かと言って、薄墨のような瞳の色がその目を逸らすことも許さず。――とにかく非常にやり難い。
「朱祢」
「呼ばないで頂けますでしょうか」
「なぜ?」
「社長から名前で呼ばれる立場にございません」
彼のバリトンの声が朝の清々しさから遠ざかる音として響き、そのムードを断ち切りたいとキッパリ言い切る私。
そして、まずは遡ること十数時間前――そもそもの始まりを思い出すことが、先決なのだとの結論に達した。
そう、目の前のオトコと関わりを持ったのは、日中ピンチヒッターとして同行命令が下ったせいだったわ…。
「間宮さんと2人きりは初めてだ」
「お役に立てないとは存じますが、」
普段はデスクワークばかりの第二秘書の私が同行したのは急遽、第一秘書の体調不良ゆえであった。
「そのメガネ外した方が良いんじゃない?」
「それは出来かねます。もはや私の一部ですから」
目的地へ向かう車内では今日も、嘘っぱちな笑みを浮かべる顔ばかり整った男に仏頂面で答えておく。
ピタリ、と身体を包むオーダーメイドのダーク・グレーのスーツ。華やかさを添えるかのように、ピンクのストライプ・ネクタイを合わせている出で立ち。
髪の毛もサラリとサイドへ流し、鼻梁の高さを誇るかのような横顔にしても、やけにハマるのだから気に入らない。
不愉快さ極まりない密室のため、いくら乗車しているのがベンツのEクラス車であろうとも、その贅沢な室内インテリジェントを楽しむ余裕もゼロ。