みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
実に端的な指示を頂いた瞬間、さすがに目を剥きかける。だけど底意地の悪い私は、微笑でそれを包み隠してしまう。
「確かその件は、チーフが同行なさると仰っていましたよね?」
これでも第二秘書――彼らのスケジュールは把握している。
その意味を込めて牽制したが、私を捉えていた彼の目はPC画面へと変わった。
「ああ、その通りだ。申し訳ないが今、通訳の依頼が入った。
何なら、会長が接待する社賓(しゃひん)の通訳を君が担うか?」
「そんなご無体な……」
ちなみに会長が直々にお相手する大事なお客様とは、イタリアの有名デザイナー。
会長秘書を務める、5期上の女性がファンの高級ブランドだとか。随分前に、嬉々とした声を響かせていたから覚えている。
そもそもイタリア語は専門外――それを分かっていて言うチーフに、情けない答えを返したのは当然のこと。
「当たり前だ。それより君は、この大筋を把握しておくように」
タッチタイピングの手を止めた彼。デスク上から一冊のファイルを手にして、“ほら”と私へ差し出してくる。
小さく頭を垂れて受け取った私は、プロジェクト名が記載されたその冊子に軽く目眩を覚えた。
「くれぐれも粗相のないよう、週末の身の振り方もよく考えてくれ」
メガネの奥の眼差しはすぐにPCへ戻り、カタカタと小気味良い音を立てながら釘を刺される。…彼の言う粗相なきとは、ベストの状態であれを示す。
――あんなに楽しみにしていた週末まで、今週は仕事を追い払うなということだ。