みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
爽やかとは言えない、音の根源を手にして画面をタッチ。その瞬間、もっとも不快な声色が耳に届いた。
「おはよう」
「おはようございます、社長」
間髪入れずに挨拶できるのは、ここ2年の賜物だと改めて感じる。
「朱祢、今どこ?迎えに行くよ」
「……駅に向かっているところです」
気まずさを振り払って淡々とした声で返し、傍らでは急いでバッグを手にした。
「その割には静かだね?」
「……あと10秒で自宅を出ます」
「素直じゃないなぁ」と、朝から嫌味混じりで笑われる。舌打ちしてやりたいけれど、ここはグッと我慢。
何より、不用意な嘘をついて後悔した。すでに朝の清々しい気分が台無しである。
「会社で待つのは、乗り気がしない」
この一言は嘆息もの――要するにアナタの気まぐれか。何という身勝手オトコだ。
些か呆れつつも、最寄駅の名を告げた。了承した彼との通話を終えた私は、部屋をぐるり見回ってマンションを飛び出る。
安住の地である、自宅は知られてなるものか。……社員データで容易に分かるけどね。
明るくなりつつある早朝の駅前でひとり、別に待ちたくもない人物の到着を待つこと10分。
見慣れたEクラスのベンツが路肩へと停車し、私は速足でその車の元へ向かう。