みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
車外へ出ていた運転士さんが、すかさず後部座席のドアを開けて下さった。お馴染みの彼に会釈して、車に乗り込んだ。
「ほら、早いでしょ?」
開口一番の軽口が鼻につくのは、交差した社長の瞳が余裕に満ちているせいだろう。
「お気遣い賜りまして、どうもありがとうございます」
ここで苛立つのは癪だと、口元を緩めて笑顔を作る。社長の隣の席に着けば、バタンと重厚なドアが閉まった。
運転席に戻った運転士さんの一声で、ベンツは静かに早朝の都内へ滑り込んで行く。
「間宮さん、今日はピンチヒッター頼んだよ」
暫くすると隣から届いた声に、視線をその方へ向ける。その眼差しからビクビクする必要はない、と判断した。
「とんでもないことでございます」
「田中くんが隣にいるより、遥かに場が華やぐよ」
主任がいれば眉根を寄せるに違いない。社長の持つ、薄墨色の眼差しは人目を惹いて止まないけど。
それを分かっていて、誰かれ構わず微笑みかけるのが問題だ。ある種の被害者が続出しているから。
「何と言っても、里村先輩が目をつけるくらいだしねぇ」
今だってそう――隣にいる私の右手を小さく握ったりとか、職権乱用も良いところだ。
「主任のお力にはとうに及びませんが、どうぞお願いいたします」
もちろん私は、そんなものにも構わず淡々と返した。とうの昔に耐性が出来ている。……嘘っぱちの笑顔なんか要らない。