みだりな逢瀬-お仕事の刹那-


その後も社長の口車に乗せられていた私。そんな2人をよそに、静かに走行を続けた車は静岡市内へ戻ってきた。


そしてベンツが到着したのは、私を化け猫に仕立て上げたホテルの正面入口である。


「朝5時出発で頼む」

「かしこまりました。お疲れさまでした」

「ああ、木下もお疲れさま」

「とんでもないことでございます」

専属運転手こと木下(きのした)さんが、社長の一言でバックミラー越しに破顔した。


手厳しい社長ではあるが、こういった気遣いなどは抜かりない。――ふとマメさを見せるのもまた、女を惹きつけるのだとか。


表情を切り変えて車外へ出た木下さん。素早く後部座席のドアを開けてくれた。


「木下さん、お疲れさまです」

「間宮さんもお疲れさまでした」

「ありがとうございます」

社長に続いた私も穏やかな彼に一礼し、もはや悪の巣窟と化していた車を出る。


その瞬間、前方から無遠慮な手が伸びて来た。またもや腰を引き寄せるその手の力が強く、私は前のめりになってしまう。


それを幸いとでもいうように身体を支えたオトコは、さらに距離を詰めてくる。


まったく失礼な彼には、ハイヒールに不慣れな私に気遣うつもりもとうに皆無のよう。


緩まない手の力に導かれてエントランスを通過し、すぐに扉の開いたエレベーター内へ乗り込んだ。


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