911の恋迷路

 「いえ、社長」

 呼びかけて、続く言葉を声にできず、立ち尽くす。

 
 (ありがとうございます)

 お礼を言いたいけど、言えない……。

 亜美はとりあえずマイカップを手に取った。



 そのとき
 背後から低い声がした。

 「浜崎、ごめん、それ間違って昨日、使っちゃって」



 ドキン。


 かすれたハスキーな声の主は沼田慎だ。

 (沼田さん!)

 

 振り向くと社員の沼田と沢森(サワモリ)の顔があった。

 沼田は亜美の手からマグカップをとり、

 「僕が洗ってくるよ」
と室外の給湯室へと歩きだす。


 (え?)

 (やだ、待って)

 「沼田さん」

 追いかけて、給湯室手前で沼田を引き留める。

 「あたしが洗います」

 「でも使ったのは僕だし」



 (むしろ、もっと使って下さい!!!)

 (沼田さんと共有したいくらいです!)

……なんて、言えるはずなく。


 亜美は両手を伸ばして、「ください」のポーズをとった。
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