千寿桜―宗久シリーズ2―
濡れた黒髪は白い頬へと張り付き、羽織る朱色の着物は、もはや雨の雫を地面へと繋げるものと化している。





その視線は虚ろであり、淋しげでもあり………声を掛ける事を躊躇っている俺がいた。




いや、掛けられない。









見た事の無い千寿の表情。



この世で、たった一人きりで取り残された様な、やるせない悲愴と苦痛が、無言の圧力となり漂っているのだ。









生意気な千寿ではない。



そこに居るのは、俺が知る千寿ではない。









無意識に、傘を握る手に力が加わる。









千寿は、何を見ているのだ。








俺には見えぬ。


千寿の見るものが、俺には見えぬ。







それを見る事を、許してはくれないだろう。








なぜなら千寿は、俺を見て等いないからだ。











唯一、俺に見えるもの。



千寿の小さな背。


悲しげな横顔。






唯一、俺にわかるもの。







締め付けられる、鈍い胸の痛み。







痛み………これがおそらく、俺の心。





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