森林浴―或る弟の手記―
八王子の商家の若旦那が、佐保里姉さんを嫁に欲しいと言っている。
父の口から発せられた言葉に、私は驚きました。
商家といえど、大店である速水酒屋。
ですが、家はいくら落ちぶれているとはいえ、まだ華族です。
そこの長女が、何が悲しくて商家になど嫁がなくてはならないのでしょうか。
これは別段珍しい話でもなく、有り得ない縁談でもありません。
でも、私は許せなかったのです。
華族としてのプライドではありません。
何故、美しい佐保里姉さんがそんなところに嫁がなくてはならないのだという怒りでした。
ですが、当の佐保里姉さんは反論をするでもなく、ただ頷くだけでした。
本来なら、皇族の親戚に嫁ぎ、何不自由ない生活を送るはずであった佐保里姉さん。
彼女の人生が狂っていくのは、本当に彼女の奇行のせいだけなのでしょうか。
その晩、私は悔しくて一睡も出来ませんでした。