死への救急搬送


買い物などに出かけるときは透析時間の合間に行くとか、遠い場所へ遊びに行ったり買い物に行ったりするときは携帯用の装置を持っていき車の中で行っていました。


そのうちに慣れてくると一泊でも旅行に行けるようになり京都や高野山など車で行くようになりますが、装置や保温器、透析バッグやハンガー器具など多くのものを必要とするので車以外での移動はほとんど無理です。


ただ透析を行う合間の時間に移動できる場所であれば、そのような必要な物品をメーカーへ連絡さえしておけば事前に宿泊するホテルへ送ってくれるので昨年の春には沖縄へも飛行機で3泊4日の旅を娘と楽しんできました。


昔血液透析をしているときには辛そうでしたが、腹膜透析は頻繁にしないといけない煩わしさはありますが、するのを忘れさえしなければ身体は楽そうで、家内は身体を鍛えて可能な限り長く腹膜を保とうとプールへ通ったり、公園へ歩きに行ったりして努力していました。


運転も遠くへ行くとき以外は自分で運転できるようになり買い物も自分で行っていましたし友人とお茶をしに出かけていたのです。


精神的にも安定して元気になり私も喜んでいました。





私が補助できることを補助していけば、いつかは腹膜が使えなくなり全面的に血液透析に切り替わるでしょうが、十五年は元気で生きていけそうでしたので、今後の二人の人生計画をそのつもりで考えて計画を練っていきます。









ただ命が持つのは今から二十年くらいが限界かなという思いもしていました。

< 21 / 277 >

この作品をシェア

pagetop