死への救急搬送
4月12日
早朝に東寺へ行き巨大な枝垂桜を見てホテルへ戻り前日に買っておいた土産などを車に積み込むと帰途につきました。
私は器具を車に積み込む前に指を挟み裂傷を負いました。
傷は割と大きく血がたくさん出てきます。
一枚の傷テープでは血が染み出てきて三枚重ね貼りしました。
「これや、これが最後や。もう悪いことが起こらへんわ」
「なんじゃそら。人が痛い思いしてんのに」
家内には厄除けの傷に思えたのでしょうか。
逆にもっと悪い事態が待っているとは・・・
帰りの車の中で5月には奈良のホテルを予約していたので、それまでにはもっと動いて体力を回復させないとだめだと話しました。
私も膠原病の可能性が高く現在は経過観察中で膝や足首の関節がソフトボールのように腫れたり痛んだりします。
特に膝は今では少し変形してきて常に痛く歩く速度がおそくなりました。
家内に負けないように足の筋力だけは維持して関節の痛みに耐えて歩けるように努力しなくてはなりません。
とにかくこれから元気な間が遊べる時間なのです。
そのために一生懸命に働き蓄えてきたのです。
まだ私は仕事を可能な限りは続けないといけませんが、家内は身体のことを考えると時間が多くはないと思っていました。
奈良へ行くときはどこへ行くかなどを話しながら夕方自宅に到着しました。
翌日は抜糸の日です。
そして一生忘れることのできない日となるのです。