失恋レクイエム ~この思いにさよならを~


日常はそれからも日常で、相変わらず忙しく仕事に追われる日々が続いた。
時間は待ってはくれない。時間は作るものだと人は言うけれど、限りがあるのもまた事実だった。

時森さんとの関係はわずかだけれど変わったと思う。
あの日以来、彼女は俺の家に来ることはなくなった。
あの夜の出来事が少なからず彼女との間に変化を生んでしまったことは否めない。

それでも、メールや電話のやりとりは変わらず、たまに二人で食事した。
そしてたまにエリザで彼女の演奏を肴に酒を飲んだ。
彼女と交わす言葉と彼女の奏でる感情の込められた音は俺の心に安寧をもたらし、同時に物足りなさを与える。

今ではそれもひっくるめて当たり前の日常。

そしてまた、この人の存在も今では俺の中の日常となっていた。

「どうなの最近、あの子とは上手くいってんの?」

相変わらず綺麗な額を無防備にさらけ出す谷津さんはビールジョッキを右手に串焼きを左手に持ち両刀使いと化していた。
あの涙はなんだったのかと彼女に問い詰めたくなるほどの食いっぷりと飲みっぷりだ。
あぁ、俺この人より女々しい自信がある。

「上手くいくとか、いかないとか、そういう関係じゃありません」
「じゃぁどういう関係なわけ?」
「と」
「オトモダチとかふざけた事言わないでね?」

ピンク色の唇が横に引かれて白い歯がのぞき、綺麗な笑顔が刻まれる。

…目が笑ってねえ。

んな事言われたって、友達は友達。

「谷津さんと同じ、飲み友達です」

自分で言って、違和感。
時森さんは明らかに谷津さんと同じではない。
じゃぁ、何が違うのか。そう聞かれると返事に詰まる。

理解者、と言うのが一番近いかもしれない。
唯一、自分の傷の深さを知っている、それを打ち明けることの出来る相手。
秘密を共有する共犯者のような…。

「ふーん」

納得いかないといった顔の彼女に俺は付け加えた。

「プラス、救世主かな」
「救世主?彼女が?」
「そう、もう何カ月も前なんですけど…、俺が失恋した日にたまたまエリザで彼女の歌を聴いて、感動…とも違うんだけど、なんというか、すっげー癒されたんです。心が軽くなったっていうか。それからですよ、エリザによく行くようになったのは」

そうだ、確かにあの時俺の心は彼女の歌によって救われた。
なんていえば大げさだって笑われるかもしれないけど、彼女の歌声はそれだけ俺の胸に深く沁みた。

「そっか。特別な存在ってやつね」

谷津さんの口から放たれた言葉はしっくりと胸に収まったけれど、同時に疑問がわいてきた。特別な存在っていうやつは、友達となにがどう違うのだろうか、その関係はいつまで保つことができるのだろうか、と。

「谷津さんこそ、俺なんかと飲んでる暇なんてないんじゃないですか?ほら、合コンとか積極的に参加しないと、彼氏出来ませんよ」

胸をよぎる不安を押し隠すように俺は話題を変える。
実はもう少しで29歳になるという谷津さんは、あれ以来何かにつけて「彼氏がほしい」と叫んでいる。
年上だろうなとは思っていたけど見た目よりも上で驚いた。

そう言ったら谷津さんはやたらと上機嫌になったっけ。

女の人ってホント年齢気にして大変だよなぁと思う。
うちの先輩女子社員も“合コン”なんていうと目の色変えて飛びついてるし…。
そういうのを見てると男に生まれてよかった、とつくづく思う。
とりあえず仕事さえ真面目にやっていれば大抵のことは気にならないし世間体は保たれる。

「良いの。今は羽賀くんみたいにイイ男はべらせてるのが楽しいのよ」
「はぁ…そうですか…」

自分が良い男かどうかはともかく、楽しいと言ってもらえるなら素直に嬉しい。
その上同じ業界の先輩だから仕事の話も出来るというおまけ付きだし。
ショールームのプランナーをしている彼女からは最近の傾向など聞けてすごく勉強になった。
社会人として尊敬できた。

人としては……置いといて。

「ねぇ、羽賀くんの失恋話、聞かせてよ」

ぎくりとして谷津さんを見ると最後のひとつになったハツの串焼きを串から抜き取りながら上目遣いに俺の表情を探っていた。
その男気溢れる食べ方がいやらしく見えたのは俺自身の問題だろうか…。

「なんですか、急に。嫌ですよ、昔の話ですよ」
「そっかぁ、引きずってるんだ」

バレてるし。

「だってわかりやすいもん、君」

ぷぷーっと指をさして人をコケにする谷津さんはやっぱり人としては尊敬できない…いや、しちゃイケナイ気がする。

「相手、どんな子?」
「職場の同僚です」
「そりゃ引きずるわ」
「え」

口の中のものを完全に飲み干して、ビールを一口。谷津さんは呆れたような目で俺を見た。

「毎日嫌でも顔を合わせる。そうすれば嫌でもその人のイイところ悪いところが目につく、耳に入る。いままで好きだった子の事よ?そんな環境で忘れられるはずないじゃない。他に目がいかない限り無理。不可能」

ヒヤリと冷たいものが胸の奥に一粒落ちて波紋を広げる。

「だって、本気だったんでしょ?抜け出せないよ、ソレ」

最後の言葉がまるで呪文のように耳にこだました。
口の中が乾いて上手く言葉が出てこないでいる俺に気づいてるのか気づいていないのか、全く気にせず谷津さんは店員を呼び焼き鳥を追加注文した。
俺の分のビールまで注文するのも聞こえた。
そしてその店員が入り口を振り向き新規の客を出迎える。
「二人ですけど…」という客の声が聞こえた。

たったそれだけの小さな声に俺の意識は引き戻され、視線は迷いもなくその声の主を捉えたのだった。

「皆川…」

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