十三画の聖約
「…ただいま」
誰もいない家の中に向かって放たれた言葉は行き場を失って足元に落ちる。
私の家は学校から歩いて40分、小夜子のマンションからは20分。緩やかな坂の上にある。
築25年くらいだろうか。
庭がやたらと広いのはお母さんの趣味。いないけど。
シン、と静まりかえった玄関には、大きな鏡。
そこに写るのは制服を着て、疲れた顔をした色素の薄い女子高生。
名前は津嶋凛子。
17歳の高校二年生にして兼業主婦。
家族は父と母と兄だけど、両親は私が9歳の時に渡米して、ジャーナリストとして忙しく働いている。
寂しい、と思ったりもするけど、充実した顔をして楽しそうにしている両親を見ればそんな気持ちはたちまち萎んでいった。
だから、もう8年になる。ふたりで生活を始めて。
パチン、と壁のスイッチを手探りで押せば、蛍光灯の明かりが青白く部屋を照らす。
歩いて火照った足にフローリングの冷たさが心地良い。
自分の部屋へ行く前に冷蔵庫を確認する。あ、野菜があった。
野菜と米があればどうとでもなるだろうと考え、ふと振り返ってシンクにある汚れた食器が目に入る。
ブルーを基調としたお茶碗にお碗、一対の箸。
「……洗えとまでは行かなくとも水にくらい浸してけっつってんだろうよ……」
8年目ともなれば(というかそもそも17年も兄弟をしていれば)互いの事なんて嫌というほど分かってくる。
私より5つ年上の兄が大雑把なのも、何度言っても同じことを繰り返すことも。
「さて、」
自分の部屋で荷物を置いて着替え、少し携帯をいじっていればすぐに6時半になった。
我が家の夕食は7時から、と、これは両親が家にいた頃から決まっている。
だからその日の食事当番は7時までに調理と配膳を済まさなければならない義務がある。
月水金日は私が当番で、火木土は兄が当番。一週間で私の方が日数が多い上に日月と続いている。
それでもバイトに趣味に忙しい兄の為にあえて不利な方を選んでやったというのに。
今日は木曜日だ。