ワイルドで行こう
社長さんに挨拶はしなくて良かったが、いずれ、あの強面のおじ様にはきちんとした挨拶をしておいた方が良さそうだと思った。
そのおじ様は店の端に駐車している車に乗り込んで、龍星轟の店先に出てきた。道路に出るための停車、左右を確認している運転席。その時、おじ様の目線がフェンスの影に身を潜めていた琴子とかっちり合ってしまった。
会釈をしたいが、咄嗟に日傘で顔を隠してしまう。道路を走っていた車が途切れ、帰路につくおじ様の車が発進。
――『プップッ』。
琴子の前をすがる時、クラクションを鳴らされてしまう。『気付かれた』。そう思った琴子は遅いとわかっていたが、日傘を閉じ過ぎていってしまった車へと会釈をしておいた。
空の茜が薄らぎ、空港とその向こうの内海に夜の青が忍び始めている。琴子はまたフェンスから店先を覗いた。
従業員が帰り、店長たった一人の店先。事務所の看板にも龍と星、滝田モータースの文字は小さく添えられているだけで、龍星轟という文字とロゴが大きく描かれていた。その看板を照らすライトが、事務所前の作業場で車を磨く彼を照らす。
ワックスがけをしているようだった。黒い、ちょっとレトロな車。マニアが所有しているのだろうか。その車にワックスを掛けている。
丸いケース片手に、スポンジにワックスを取り、それをボンネットに丁寧に塗っている彼。人の車でも英児のその横顔は真剣だった。初めてみる横顔に、琴子は釘付けになる。
低いボンネットに身をかがめ、長い腕がじっくりと車のボディを磨く。決して楽な姿勢ではなくとも、英児はボンネットの端の端まで、きちんとワックスを塗り込んでいる。その手つきに、やはり愛を感じた。車を優しく撫でる手……。ちょっとドッキリとしてしまう。だけれどそんな琴子の僅かな女のときめきを霧散させてしまうのは、英児の眼だった。離れているここでも、彼のあの黒い瞳が煌めいてはっきりと見える。その眼に濁りはない男の純粋な輝き。さらに真一文字に結ばれた口元に揺るぎない信念を見る。そんな彼を琴子はひたすら見つめていた。いや、近づけなかったのだ。そして、見ていたかった。
そんな英児はやっぱり素敵だと思った。なかなか見られないだろうから、琴子はここでじっと見ている。