ワイルドで行こう

 やがて空は薄暗くなり、ぱたくたと小さなコウモリが英児の店の上を飛び交う。僅かな茜を残した夜空に、東京行き最終便のジャンボ機が横切っていく時間。そこでやっと英児が腕時計を確かめる。はっと我に返った顔を琴子は確かめる。慌ててポケットから携帯電話を取り出す彼――。
 琴子はそっと微笑んでしまった。本当に車のことが好きで、没頭したら時間を忘れてしまうのね……と。
 肩にかけている白いバッグから着メロが流れる。その時やっと、琴子はフェンスから店の入り口へと立った。
「琴子」
 バッグの中のメロディがやむ。英児も電話をポケットにしまい、すぐにこちらに駆けてきた。あの作業着姿で慌てるように。
「いつからそこに」
「もう一人の整備士さんが帰る時から」
「えっ。どんだけそこにいたんだよ」
 面食らう英児に、琴子もそっと笑う。
「貴方がどれだけ車が好きか、よくわかったから」
 ワックスがけを見られていたと知り、しかも黙ってじっと見られていたことに唖然としている英児。
「うんと格好良かった。だから、ずっと見ていたくて……時間が経っちゃった」
 少しだけ申し訳なさそうな小さな笑みを見せた英児、でもすぐにいつも通りに琴子の肩を抱いて胸に寄せてくれた。
「暑いのに。なにやってんだよ。待っていたんだからな」
 待っていてくれたのだろうけど、車にはまだ勝てないのかもしれない。琴子は胸の中だけで呟き、それでも油の匂いと煙草の匂いがする彼の作業着に頬を寄せて静かに微笑む。
「これ。母が貴方に食べて欲しいって。また張り切っちゃったの」
 風呂敷に包まれたお重を運んできた紙袋を差し出すと、彼が母に見せていた無邪気な笑みをすぐさま浮かべた。
「うわ、嬉しいな。この前いただいたお母さんの飯、マジで美味かったんだ」
 琴子の手から、彼が本当に嬉しそうに受け取ってくれた。
 社交辞令じゃないと、今ならわかる。でも……それでも本当に嬉しそうな顔をするのが、ちょっと不思議だった。
 
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