ワイルドで行こう
「真っ黒」
「だろ。油とかいろいろ入るんだ。爪専用ブラシで洗わないと落ちない。これで琴子には触れないだろ」
そう言って笑うと、彼は琴子の頭をぐりっと撫でて離れていく。パチンとした音で灯りがついた。彼は奥にある扉に消えていく。やがてシャワーの音が。
琴子もほっと息をついて、気持を切り替える。テーブルに、母のお弁当を並べる準備に取りかかる。
そのうちに、短い時間で英児が出てくる。濡れた髪に首にはバスタオル、そしてティシャツと夏らしい短パンをはいて出てきた。
「相変わらず、うまそうだな」
テーブルに整った料理を見て、彼がまた無邪気な顔。母に見せてあげたかった。
「お茶とかある?」
「ペットだけどある」
対面式キッチンの向こうにある冷蔵庫へ英児が向かう。そこから大きなペットボトルとグラスを二つ持ってきてくれた。
「ビールとか飲まないの? 今日みたいな日は、お仕事の後は美味しいんじゃないの?」
母が入れてくれた紙皿に、いくつかのおかずを取って準備をしていると、英児はソファーではなく床に跪いて箸を持っている琴子のすぐ隣に座り込んでしまった。その途端に、柔らかいシフォンブラウスの腰を掴まれ、英児がニンマリとした笑みを浮かべながら抱きついてくる。
「なに、琴子は今日、俺んとこに泊まる気なのか」
「え。……そうしたいけど、あの、」
「だろ。帰らないと、お母さんが待っているだろ。いくら俺と琴子がいい年の男女でも、母親にとってはいつまでも娘なんだから。酒を飲むと運転が出来なくなるんだよ。お前を送って帰れないだろ」
はっと気がつく琴子。
「それに車乗り回すから、滅多に飲まない」
英児の手が腰からさらっと離れる。片膝をたて、琴子の隣でゆったりくつろいだ英児の手が、母が詰めた重の中にある空豆をつまんだ。
琴子に触りたくて、ちょっとふざけた顔をしたり、してやったりの得意顔で琴子を腕の中に押し込んで勝ち誇っている彼が、そうはせずに遠くを見た。窓の向こうの、もう消えてしまいそうな夕闇を。
「母ちゃん、大事にしろよ。俺も、琴子の母ちゃんは泣かせたくないからさ」
いつにないしんみりとした寂しい横顔に、急に琴子の胸が締め付けられる。こっちまで泣きたくなってくる。