ワイルドで行こう
「元々、阪神への転属話は出ていたんだけど、結婚をするからと断っていたんだよ。なのに、俺の母親と上手くいかなくなった途端に、神戸に転属願いだしやがって。会社側としてはやっと千絵里がOKしてくれたと喜んで配置換えしちまったけど、俺としてはなにもかもあいつと夫婦になって暮らすつもりであの店を作ったんだから、『一緒に神戸に来て』と言われても行けるわけないだろ」
つまり。英児に『私かこの街(母親)か選べ』と迫ったようだった。
……そんなことがあったんだ。琴子は吃驚。それによく聞きそうな話だが、愛している男の過去だと思うと、酷く生々しくて重かった。
「出来るかよ。俺のあの店と自宅、もう建築中だったし。母ちゃんだけじゃない、矢野じいも資金を出してくれて建てたんだからさ」
「矢野さんが。あのお店を建てるお金をだしてくれていたの!?」
こっくりと、ハンドルを回しながら英児が頷く。
「自宅兼の店をたたんで売った土地の金を矢野じいが『投資』と言って資金として出してくれたんだ。長年暮らしていた家と店をぶっ壊して、奥さんと一緒に老後に快適なマンション住まいにするんだって乗り換えたんだ。その代わり、俺を一生雇え。それには俺が死ぬまで店を潰すなという約束でさ。俺はあの店から逃げるわけにはいかなかったんだよ」
「それって。でも、彼女だって英児さんがそんな迷惑をかけてまでなにもかも捨てて、一緒に来てくれるだなんて、そんな無茶なこと言う女性には見えなかったんだけど」
だけれど。英児はふっと笑う。そして見たことがない、どこか憎々しさが窺える棘のある笑みを浮かべて。
「俺、アイツに教わったんだよ。『完璧』なんて全然強くねえって。完璧は、パーツが一個でもなくなったら『不完全』。パーツが揃っているときは『最強』、だがどこか一個でも欠けたら即座に分解してしまう非常に脆いだけの『最強』だってね」
つまり、アイツはそんな女だった。
そう聞いただけで、琴子は息を呑む。英児のその例えだけで、かつての婚約者同士の諍いが目に見えるようだった。