ワイルドで行こう

 暗がりの寝室。ベッドの縁にブラウスの首元を握りしめながら腰を下ろすと、すぐに英児が入ってきた。
「琴子」
 廊下から差し込む灯りが一筋、やっと琴子がいる暗い部屋を照らす。ボクサーパンツ一枚で佇む彼の顔が、悲しそうにゆがんだ。
 琴子は……、目が合わせられなかった。
「大丈夫か」
 それでも彼は琴子の足下にひざまずいて、そっと膝の上にある手を優しく握ってくれた。それだけで。我慢していたものが溢れ出しそうになったが、琴子は堪えた。
「悪かった。ずっと前に俺がハンパなことをしていたのが、今になって……。お前を巻き込んだな」
 謝る彼に。琴子はそっと首を振る。
「だ……だいじょう、ぶ」
 そんなつもりはなかったのに、声が震えていた。
 直ぐに、英児が胸の中にきつく抱きしめてくれる。そして琴子の乱れている黒髪も撫でてくれた。
「驚いたよな。でもよ、大丈夫だから」
 英児の声も震えていた。悲しいのか、怒りなのか。わからない。彼だって、まさか完全に終わったはずの元婚約者に、こんなふうにして勝手に家に入られるとは予想外だったのだろう。
 自分が一番安心できる場所で。プライベートの、秘めた場所で。限られた許された人間しか出入りできないはずのテリトリー。そこから自ら出て行ったはずの人間が、安心しきっている時に踏み込んできた。それならまだしも、ずっと昔に終わったはずのことを掘り返して、怒りをまき散らして――。これが驚かずにいられるだろうか? 琴子だって『怖くて』震えているのに。
 でも琴子も彼の肩先で『大丈夫』と首を振る。そして琴子からも英児を抱きしめた。
 まさか。恋人同士だけに許された秘め事の最中に踏み込んでくるだなんて――。
 しかも。本当に本当に、今このとき、私たちが身も心も完全に結ばれるというときに、踏み込まれた!

< 210 / 698 >

この作品をシェア

pagetop