ワイルドで行こう

「わかった。おっちゃんが、馬鹿たれ二人をなんとかしてくるわ」
 階段ではまだ千絵里さんが不条理なことを泣き叫び、それに捕まって琴子を追えない苛立ちをぶちまけている英児の怒鳴り声が繰り返されている。
 矢野さんの顔もとんでもない形相になり、琴子が恐ろしくなる。
 腕をまくるような意気込みで矢野さんが裏口から中へ入ろうとしていた。
「待って、矢野さん」
 その腕を琴子は掴んだ。飛び込もうとしていた矢野さんが、もどかしそうに振り返る。
「私、大丈夫。あのまま二人にしてあげて」
「琴子……! この前おっちゃんが言ったこと忘れたのか」
 ――遠慮するな!
 あの言葉、ある意味矢野さんらしい激励。忘れていない。そんなつもりもない。でも、琴子は涙を拭いておじさんに告げる。
「英児さんに言って。私、待っているから――と。だから、ちゃんと話し合って『終わらせてあげて』。お願い、矢野さん。英児さんの傍にいてあげて。数年前に戻ったつもりで、二人きりで『もう一度、やり合う』ほうが良いと思うの。今、私が傍にいたらこじれてしまう、きっと遠回りさせてしまう。私だって力になりたいけど、ずっと前の二人のことにはなんの役にも立たない。だから、矢野さんが英児さんの傍にいて見守ってあげて」
「琴子、あのな」
「伝えて。待っているから、数年前からちゃんと今の私のところに戻ってきてと伝えて」
 それだけ言い切ると、琴子は矢野さんにすら背を向け走り出していた。
 ――『琴子!』。
 矢野さんが呼び止める声なのか、英児が叫んでくれた声なのかわからなくなった。
 団栗の葉がさざめく裏道を抜けて、琴子は夜の道路を駆け抜ける――。やがて、一台のタクシーを見つけ、すぐさま手を挙げた。
 息切れるまま、ドアが開いた後部座席に乗り込もうとした時、バッグの中の携帯電話が鳴る。英児用の着信音。でも琴子は取らずに、タクシーに乗り込む。
 車が走り出し、琴子は携帯の電源も切った。
 「嘘つき。私、嘘つき」
 タクシーの後部座席で、琴子は一人涙をこぼし、声は必死に堪えた。
 どんなことがあっても傍にいるわよ。
 彼に何度もそう言ったのに。彼がそれをとても喜んでくれたのに。嘘になってしまった……。
 でも『どんなことがあっても、きっと貴方のこと好きよ』。
 こんなことがあっても。貴方が好き。それだけは嘘じゃない。嘘にしたくない。
 だから待っている。貴方が過去を終わらせて、私のところに身軽になって来てくれると。
 その時はまた、真っ黒なスカイラインで颯爽と現れてくれる?
 桜が咲きそうな雨上がりの夜。初めて出逢ったあの時みたいに。

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