ワイルドで行こう

 だが、それからだという。英児が千絵里さんと冷静に向き合えるようになったのは。今になってようやっと、『これから』千絵里さんにどうしてやればよいのか、英児から考えられるようになったらしい。『これから、どうするか』を英児から投げかけるうちに千絵里さんも徐々に冷静になり、二人で過去にあったことも現在のことも年相応の顔つきで話し合うようになってきたとのこと。
 そこまで聞いて、やっと琴子は涙が流れた。良かった。大丈夫だった。二人揃って『時が流れ始めている』。そう感じられたから。
「もうちょっと、英児を待っていてやってくれや」
 琴子が頷くと、矢野さんもやっとほっとした顔に。
 夜の出航待ちのフェリーに、夕日がさしかかった。それを暫く矢野さんと無言で眺める。
「私、本当に英児さんに出逢ったことで、母と一緒に前を向けるようになったんです」
「……らしいな。聞いたよ。でもすげえ一生懸命に見えたってアイツ言っていたわ。いい加減に出来ない真面目そうな子だと伝わったから放っておけなかったってさ」
 あんな最低なところで最低の思いを抱いてもがいていたのに? そんな琴子を見つけてくれて、声をかけてくれた。琴子だけじゃない、立ち上がれない母も抱き上げて、英児はスカイラインに乗せて連れ出してくれた。そこで見た夢のような幻想的な蛍の夜。あれがなかったら……。
「私も母も、またあんな立ち止まるだけの日々には戻りたくないと思っているんです。英児さんに助けてもらって、それを無駄にしたくない。だからもう一度、英児さんに伝えてください。待っているって」
 矢野さんが大きく一息ついた。
「わかった。伝えておく」
 前を見据えた矢野さんの眼差しが変わる。標準を定め、真っ直ぐに突き進もうと決意するような……。そう、英二に似た目。その横顔で、マジェスタにエンジンをかける。
 そのまま矢野さんが自宅まで送ってくれた。
 あの古い煙草店の店先で降ろしてもらう。そのとき、小さなメモを手渡された。
「これおっちゃんの携帯の番号。英児に伝えたいことがあったり、なにかあったら、今はこっちに伝言してくれるか」
 それは『英児に今は連絡するな』と言われている……。

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