ワイルドで行こう
「悪いけどよ。それでも今の千絵里は琴子が見えないから落ち着いていると思うんだよ。英児の携帯、一度ぶっ壊されてな」
最後になってそんなことを教えられ、琴子はまた驚き目を丸くした。何故壊されたのか、考えたくないが、だいたい判ってしまう。『だから連絡がなかったのだ』とやっと理解した。
英児が琴子に連絡をしようとしていたのを見たのか。あるいは、何かを見てしまったのか。それとも『怒りまくって、散らかしまくった』時にそうなったのだろうか。ともかく、携帯電話を使うことはタブーだということだった。
「武智の番号もメモしてあるから、おっちゃんに言いにくかったら、武智にいってくれ。店の奴らも、落ち着きないわ。店長の英児は仕事に身が入っていないし、琴子じゃない女が出入りしているわで。おっちゃんもそう長引かせるつもりはないから、後少し我慢してくれ」
琴子はそのメモを受け取る。
「大丈夫です。待っています。また会える日を」
今度こそ、今度こそ。琴子は心から告げた。
「おっちゃんも、また琴子が車を磨きに来る日を楽しみに待ってるな」
そっくりだった。英児の目尻に皺が寄る笑顔と。途端に涙が溢れてしまう。
じゃあな。矢野さんの白いマジェスタが宵闇に去っていく。
いま、琴子はあの道を歩いている。
桜が咲きそうだった道、泥を跳ねられた道、彼がコートを届けに来てくれた花びらが舞っていた道を――。
彼がくれたもの、幸せな恋、きっとこれ以上の恋にはもう出逢わないと思う。それまで付き合っていた男性もいたのに。一通りの恋愛はしてきたのに。
彼との恋は、それまでの恋と全く違った。条件も釣り合いも、どれも私たちを縛らなかった『本物の恋』。
愛されることを待っている恋じゃない。自分から一生懸命に愛せる恋に出逢えたこと。その恋心を彼が愛してくれたこと。そんな幸せに出逢ったこと。
だから二度と琴子は戻らない。彼にもらった前に向ける気持ちを無駄にしたくないから。
今はなにもいらない。愛されたことを忘れない。貴方がいないから愛せないなんて、絶対に言わない。
たとえ、別れたとしても。貴方をずっと愛していると思う。胸の奥に秘めてずっと。幸せだったことが一時でもあったことを思い返して、前を向いていける。そんな恋。