ワイルドで行こう
「父は三年前にこの病院で看取りました。翌年に母が。母は一命を取り留めましたが後遺症が、今日はその定期検診です」
背中に芝の上を杖をついて辿り着いた母の気配。だから琴子は口をつぐんだ。
「琴子、お知り合い?」
どのような知り合いか。母には絶対に知られたくなかった。
「うん。デパートのショップの店長さん」
咄嗟に出たのがそれだった。しかし母は娘が趣味のように服を買いに出かけることを良く知っているので『ああ』と納得してくれたようだった。
だが、千絵里さんは琴子の母を見て唇を震わせている。そこから動かなくなってしまう。
「……お母さん。店長さんもお母様の付き添いなんですって」
「あら、そうなの」
母の目線が向かいのベンチへ。あちらのお母様も訝しそうにしていて、でも娘の知り合いと思ったのか、こちらに軽く会釈をしてくれた。
「店長さん。お母様、お大事に」
琴子は立ち上がる。
「お母さん、お腹空いちゃった。行こう」
母が抱えている紙パックのお茶を琴子が持ち替え、母の背を押した。
語ることなど何もない。話してほしいことも、話したいこともない。元より無関係。あちらから強引に関わってきたのだから。
それよりも琴子は驚愕に固まる彼女が、後先考えずに、『自分だけが納得できる行動』に出ることを恐れた。だから早くここから母と離れたい。
「待って。あの……」
来た。そう思った。彼女がそれをしてしまう前に、琴子から振り返る。
「店長さんもお大事に」
動揺している様子の彼女に、琴子はこの上なく険しい眼差しを向けた。
ここでやらないで。ここで『謝らないで』。貴女が申し訳ない気持ちいっぱいで謝りたくてどうしようもなくても、『母の目の前』で謝らないで。
琴子の母は訝しく思うだろうし、彼女の母も心配するだろう。
謝れば、その心苦しさが軽くなる? それも自分勝手というもの。『心苦しくても、何事もなく取り繕える嘘』を背負える覚悟を持って欲しい。
「……貴女も。お母様、お大事に」
通じたのだろう。その言葉に代え、彼女が頭を下げてくれた。
肩越しに会釈を返し、琴子は母と食堂に向かった。